ガジェレポ!

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【ネタバレ注意】映画『夜は短し歩けよ乙女』、小説との相違点を考察してみる。

夜は短し歩けよ乙女のイメージ画像01

ウォーキングでも始めようかと思案しているガジェレポ!@gadgerepoです。こんにちわ。

先日、映画『夜は短し歩けよ乙女』を鑑賞してきた筆者。

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引き続き、「ネタバレあり」で原作である小説版と映画版の相違点などを見比べながら、感想をツラツラと書き連ねたいと思います。

「作中時間」が違う!?

 

まずは一番の相違点、小説ではストーリーが「春」「夏」「秋」「冬」のパートに別れた四部構成で一年を通じた物語だったところが、映画では「すべてが一夜のうちに起こった」物語になっていたこと。

小説は

  • 第一章:夜は短し歩けよ乙女(季節・春)
  • 第二章:深海魚たち(季節・夏)
  • 第三章:御都合主義者かく語りき(季節・秋)
  • 第四章:魔風邪恋風邪(季節・冬)

と章立てになっており、作中でも各章で明確に季節が移り変わっている様が語られているのですが、映画では黒髪の乙女のセリフから「先斗町での酒宴」「古本市」「学園祭」「お見舞い行脚」は一晩の出来事であるように描写されています。

とはいうものの映画の中でも各パートは「春」「夏」「秋」「冬」の季節で描かれており、一夜に春夏秋冬が盛り込まれた不可思議な時間軸に。

この奇妙な作中時間についてですが、小説には無かった映画版独自のシーンとして黒髪の乙女や樋口師匠らが各自の腕時計を見比べる場面があり、師匠や「還暦の集い」の老人たちは時計の針がめまぐるしい速さで進んでいるのに対し、乙女の時計の針はゆっくりと時を刻んでいるというところから、

「他の登場人物は一年という時を体感する中、黒髪の乙女だけがゆっくりとした時間の流れの中を歩いている。」

のではないかな〜と筆者は感じています。

しかしそのお蔭で小説と比べても映画版は非常にテンポよいものとなっており、喫茶「進々堂」での待ち合わせに向かってイッキに物語が収束していく様は爽快そのもの。

より一層ラストシーンが清々しく印象的に映る効果を果たしているのではないでしょうか。

「学園祭」は大きく改編!

 

その他、細かい相違を挙げていけばキリがありませんが……

  • 学園祭事務局長・パンツ総番長が最初から登場。
  • 東堂さんの錦鯉は小説では冒頭の「先斗町」で、映画では「偏屈王 最終幕」で空から降ってくる。
  • 古本市で織田作之助全集を読みふける和服の女性が出てこない。
  • 李白さんの見舞先、小説では下鴨神社・糺の森(ただすのもり)だが映画は宝ヶ池(京都国際会館?)
  • etc.etc...

しかし、何と言っても大きく改編されたのは「学園祭」、小説版の第三章「御都合主義者かく語りき」でしょう。

ある出来事で一目惚れした女性に再会するまでパンツを穿き替えないと願を懸けたパンツ総番長

彼は女性との再会を果たすために学園祭でゲリラ演劇「偏屈王」を公演します。

そんなパンツ総番長が一目惚れした相手は、小説版では学園祭で出し物「象の尻」を展示していた「紀子さん」。

ところが映画の紀子さんは「偏屈王」の舞台監督であり、パンツ総番長に片思いしつつも彼を支える……という設定で、パンツ総番長が一目惚れした女性とは別人となっています。

そしてパンツ総番長、意中の人は「女装した学園祭事務局長」

最終的に紀子さんと結ばれる点では同じですが、小説に比べ映画のほうが意外性のあるドラマチックな構成へと改編されています。

また、演劇というよりもミュージカル仕立てとなっている「偏屈王」もまた映画ならではの演出。

小説版では冗長すぎるきらいのあった第三章も、メリハリの利いた展開となりました。

絵本「ラ・タ・タ・タム」を渡すタイミング

 

黒髪の乙女が糺の森での古本市で探しまわる幼少期思い出の絵本「ラ・タ・タ・タム」

 

小説では第二章「深海魚たち」の最終、古本市の神様の手によって本棚に戻された絵本に黒髪の乙女と先輩が同時に手を伸ばし、それがキッカケで初めて会話らしい会話を交わす……という重要な役割を果たすものの、以降の活躍はありません。

しかし映画では李白さんの我慢比べを勝ち抜いた先輩がそのまま絵本をゲット!

そして映画本編の終盤、先輩の御見舞に下宿を訪れた黒髪の乙女についに絵本を手渡す……というような変更がなされています。

黒髪の乙女に絵本を渡すタイミングだけの違いではありますが、これによってまた大きく作品のイメージが変わったように思いました。

小説版では「先斗町での介抱」「ゲリラ演劇『偏屈王』での抱擁」と同様に黒髪の乙女が先輩を意識するようになるフラグの一つであり、徐々に積み重なってラストシーンに繋がる……という印象。

ですが映画では他のフラグはソコソコに、「ラ・タ・タ・タム」を手渡したことで一気に乙女が先輩を意識するようになったイメージを受けました。

これも好みの違いはあるでしょうが、映画版の“ジェットコースター”的なストーリー構成をさらに加速させているように思います。

筆者的にはゆっくりと育まれていく感のある小説の展開のほうが好みですかね。

まとめ

 

 

というわけで原作を読んでいれば相違点を比べながら楽しむことができる映画『夜は短し歩けよ乙女』
しかし原作未読でも、ラストシーンはほんわか出来ること請け合いです!