ガジェレポ!@gadgerepoです。こんにちわ。
タイトルを見て「このオッサン、頭おかしいんじゃねーの?」と思ったあなた、さにあらず。今回はいたって真面目な話です。
この二年間、続けてきた「ヒーロー」としての役割を続けるべきか、やめるべきか、筆者は悩んでいるのです。
目次
発達障害の甥っ子
筆者には今年小学校3年生になる甥っ子がいます。
早産児で予定より3ヶ月も早く出産。出産時の体重は1000gにも満たず、生まれてすぐに生死の境を彷徨いました。
しかし、その両親である妹夫婦の祈りが通じたのか一命はとりとめ、保育器の中ではあるもののスクスクと成長。
初めての面会時、透明なプラスチック容器の中で震える、手のひらに収まるほどの小さな甥っ子の姿が今でも鮮明に思い出されます。
そして無事退院。
しかし、出産後の検査では特に重大な障害は見当たらなかったものの、成長につれて「注意欠陥多動性障害(ADHD)」の兆候が見られるようになりました。
集中力がなく、同じ所にじっとすることができないという典型的な症例です。
そしてそれは小学校入学とともに顕著に現れ、それが原因でなかなかお友達と馴染めず、悲しい思いをすることもありました。
また、集中力のなさは勉強の面でも影響し、授業がキチンと受けられない、宿題も大人が付きっきりでもなかなか終わらないという点で問題が見受けられました。
「戦隊モノ」が大好きな甥っ子
そんな甥っ子が大好きなのが「正義のヒーロー」。
とりわけ「スーパー戦隊シリーズ」がお気に入りで「獣電戦隊キョウリュウジャー」に始まり、 「 烈車戦隊トッキュウジャー」「手裏剣戦隊ニンニンジャー」、そして「動物戦隊ジュウオウジャー」と毎週欠かさず録画、オモチャやグッズ集めに余念がありません。
そしてまた筆者も「ヒーローもの」が大好きw
そんなわけで甥っ子とは戦隊シリーズの話で盛り上がることが多く、またネットで拾った最新情報を教えたりしているうちに甥っ子からは「ヒーローに詳しいおじさん」と認識されるように。
その年頃の男の子が自分の好きなスポーツ・ゲームが上手な大人をリスペクトするのと同じように、いつしか「おじさん=ヒーロー」として筆者は甥っ子から羨望の眼差しを受けるようになったのです。
「ヒーロー」を餌に……
ある日、遊びに来ていた甥っ子がまだできていなかった学校の宿題を母親と一緒にやっていました。
しかし、なかなか集中できずいっこうに終わる気配がありません。母親である妹もなだめたりすかしたり、時には声を荒げて急き立てるのですが当の甥っ子は従姉妹である筆者の娘たちと遊ぶことに意識が向いている模様。
それを見ていた筆者は甥っ子に、
「宿題キチンとやらないと、ヒーローになれないよ?」
キョトンとする甥っ子に
「キョウリュウジャーやニンニンジャーは“ヒーロー協会”から選ばれて正義のヒーローになったんだよ。」
「世界中の人たちから選ばれてヒーローになるには運動が得意なのはモチロンだけど勉強ができることも大事。」
「学校の宿題がちゃんと出来たか、テストでがんばったかは全部“ヒーロー協会”に報告されてるんだよ。」
それを聞いた甥っ子の目の輝きといったら!わからないなりにも教えてもらいながら、集中して宿題を終わらせることができたのです。
それ以来、筆者は甥っ子が駄々をこねたり、勉強に集中できないでいる時に「ヒーロー」を引き合いに出して“はっぱ”をかけるようになったのです。
甥っ子や両親に対して失礼じゃないのか、これ?
そんなことを繰り返すうちに甥っ子の扱いが一番うまいのは筆者、みたいに周囲の大人からも認知されるようになってきました。
筆者もまた、「甥っ子の嗜好を理解して巧みに誘導する俺カッコいい!」なんてどこかで考えていたかもしれません。
しかし先日、やはり甥っ子とその両親である妹夫婦と実家で会った時、次の日に学力テストを控えた甥っ子に、やはりいつものように集中力が途切れてぐずり始めた甥っ子に、厳しいながらも真摯に向き合って、漢字の書き方を甥っ子の手を取りながら教えている妹夫婦を見て
「なんて失礼なことをしてたんだろう。」
と感じたわけです。
口先だけの言葉で、甥っ子の純粋にヒーローに憧れる気持ちを利用して操ってただけじゃないの?
ちょっと離れたところから調子のいいことばかり言ってるだけで、いつも手の掛かる甥っ子の世話に忙殺され、苦労し悩んでいる妹夫婦の辛さを考えてなかったんじゃない?
目にいっぱい涙を溜めながら甥っ子に漢字を教えている妹夫婦を見て、そう思ったんです。
まとめ
実際問題、発達障害のお子さんを持つ親御さんの苦労や大変さは一言では言い表せないものだと思います。
上手に誘導する、という観点からすれば筆者のやり方も有用といえるのかもしれませんが、この先甥っ子が成長して「真実」を知った時の気持ちを考えれば、やはり……。
「なにがベストな選択なのか?」正しい答えのない問題に絶え間なく答え続けなければならない。障害のある、無しに関わらず子育てとはそういうものなのかもしれません。
しかし、“子どもにとって一番ベストな選択”ができるよう、私たち大人は全力で努力するべきなのだと思います。